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T京にいる卒業生からメールが来た。やはり花粉症でやられているとのこと。今年は酷いと聞く。H海道は幸いスギはないし、他の花粉もまだ飛散しない。今朝の雪で路面はまた真っ白にもどってしまった。

東京を離れてもう12年になる。早いような、随分経ったような。すっかりS幌が好きになって、冬道の運転もそれほど怖くはなくなった。

正確な情報ではないが、旧石器時代の関東地方は現在のS幌ぐらいの年平均気温だった、と言われている。旧石器時代のH海道日本海側は現在のようには多雪地帯ではない。旧石器時代には寒冷化による海水面の低下で、暖流の流れ込まない日本海は淡水化し、日本海側地方にはそれほど雪は降らなかった。

けれど、旧石器時代の寒さを体感しながら、旧石器時代のことを想像するのは楽しいだ。旧石器時代人も春は待ち遠しかったことだろう。欠乏した石材も補給できるし、植物も得られる。狩猟にはどの季節が最適だったのだろう?いろいろな考えも浮かぶ。

残り少ない寒さを、旧石器人を思いながら愉しみたい。
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by north-archaeo | 2005-03-09 20:50 | 旧石器
飛鳥京で正殿と推定される建物跡が発掘されたとH海道新聞の朝刊1面に紹介されていた。
建物の四隅に数本の柱を立て抜いた痕跡がみられると記事にあった。それは諏訪大社の御柱のようなものか、幡をたなびかせるものか、あまり大陸風の建築様式でないとの解説も興味をひいた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050308-02342097-jijp-soci.view-001

A森県のS内丸山遺跡は縄文時代の遺跡だが、今は6本柱のやぐら状の建物が復元されているが、ただ6本の柱を立てたものである可能性も高いとされている。たしか「日本考古学」の何号かに、K口さんが6本の柱の影とそれが季節を示すということについて論文を書いていた。

柱をただ立てるという行為が縄文時代以来日本の中で脈々と受け継がれてきたのか、歴史的に断絶がある他人の空似か、面白いテーマではある。

縄文時代は古い時代のように思えるが、I狩市の低湿地遺跡であるM葉山遺跡で出土した縄文時代の木製品や漁労遺構は、アイヌ文化のそれに酷似していて、歴史的な連続性を考えさせられる(確かもうすぐ報告書が出るはずだなあ)。http://www.city.ishikari.hokkaido.jp/kakubu/kyouiku/49iseki/m49001.htm
東北地方の木製民具や樹皮製品を調べているN久井さんの著作にも縄文時代の木製品との類似がしばしば指摘されている。
木の文化は石の文化や焼き物の文化と比較すると、非常に古い時代から現代までの継続性を持っていることを思い知らされる。
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by north-archaeo | 2005-03-09 20:08 | 考古学
学生サークルというのは運営がなかなか昨今難しいようだ。すぐにつぶれてしまったり、特定の学年が卒業すると自然消滅してしまったり。特に文化系はなかなか維持していくのがたいへんだ。

僕自身は学生時代、考古学のクラブで考古学を学んだ。それは当時僕のいた大学には考古学の授業が少なく、履修したくてもできなかった。だから先輩達が指導する考古学のクラブでの勉強会が勉強の場だったし、後には現場の調査員が先生となった。

本学も考古学専攻があるわけではないが、開学当時から考古学研究会というクラブが毎日のように勉強会を開き、お互いに勉強している。原則として僕は勉強会には参加しない。先輩が後輩に教える、教えることで自分の判らないことがはっきりし、自分がまた勉強する、という勉強のサイクルがあるから、教員が勉強会に参加して教えすぎてしまうことは避けたいからである。
自分が他人に教えるという行為が一番勉強するのだ。

大学講義棟で一番夜遅くまで灯りがともっているのが考古学実習室だ。学生が自分達で勉強会をやっている。たいしたものだ。この灯りは僕の密かな誇りでもある。
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「藤村がK高森で石器を埋めている所をビデオに撮られ、さっき本人が記者の前で認めた、K高森とS進不動坂の今年の分はダメだ、明日の朝刊に出る、、、」という電話が宮城のKさんからかかってきたのは、M新聞のスクープの朝刊が出る直前の夜中だった。もう数時間でその新聞が配られる、、、不動坂は98年、99年、2000年と掘っていたが、藤村は2000年分がダメだと話したらしい。その時、僕の脳裏に浮かんでいたのは、F動坂の2000年の発掘で一つの石器が出土した瞬間の映像だった。移植ゴテでパカッとロームが剥がれ、土の全く付着しない石器の表面が突然現れる、その瞬間の絵。それは僕が大学院生で参加した1985年のB場壇A遺跡調査で、自分で初めて前期旧石器を掘り出した瞬間の絵と重なっていた。その2つの映像が頭の中をグルグルと回った。

2000年夏に、不動坂でそのパカッと出土する状態を見たときにも、16年前のB場壇を思い出していた。あまりにも全く同じ出土の仕方だったので、宮城とそっくりな出土状態だなあと感心したのだ。当時は前期旧石器の典型的な出方とされていた。しかしその2000年夏の不動坂が告白どおり捏造なら、全く同じ出方をしたB場壇の1985年まで捏造がさかのぼるかもしれない。目の前の壁がガラガラと崩れさるのを感じた。前期旧石器がなくなってしまう。

スクープ直後、遺跡の調査責任者として、考古学者として、単に藤村告白だけで物証なくすべて捏造と断定することもできない、しかし告白以外には捏造なしと言い切ることもできない。他人の掘った遺跡について、頭の中の2つの重なる映像だけで捏造だ、と断定するなどもちろんできない。

当時、多くの前期旧石器遺跡が本物であって欲しい、と願いながらも、頭に浮かぶF動坂とB場壇の一致。事件がとても大きなものになっていく予感だった。とても2つの遺跡だけに留まらないという予感。20数年にわたり積み上げられてきた蓄積が崩れ去る予感。
しかし自分に出来るのは自分の掘った遺跡で、確実な証拠を積み重ね、捏造か本物か検証することだけだ。とにかく自分の掘った遺跡を検証しなければ、というのがスクープ直後の立場だった。朝刊発売日の午後、大学で開いた記者会見でも、検証発掘を実施したいと発表した。実証こそが考古学だと思うからだった。F動坂遺跡は藤村が捏造する瞬間の写真があったわけでなく、単に藤村の告白だけだった。「藤村の告白」にどんな価値があるのだろう。実証しなければ、捏造かどうかを検証しなければならない、とそう思うだけだった。

スクープ直後、「君は不覚にも藤村に捏造をされたんだね、分からなかったの?」という質問を、前期旧石器遺跡を調査したことのある研究者仲間からも受けた。証拠がない以上「あなたの掘った前期・中期旧石器遺跡も危ないですよ」とは言えなかった。僕の頭の中の映像が一致しただけではそれを口にすることは、その当時はできなかった。

立花隆の著作 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4022576014/249-4203032-0282704)
に2000年12月の会津での「東北日本の旧石器文化を語る会」という学会の様子が記されている。僕の行なった遺跡検証の口頭発表のことも書かれている。僕の発表態度を敗れた高校球児のように潔いと立花は書いた。もしそう見えたとすれば、それは僕の中に1985年と2000年の2つの映像の鮮明な一致があったからだと思う。
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by north-archaeo | 2005-03-07 20:35 | 捏造事件
英語教育のK先生も使っているので、4月からブログを演習で使おうと考えている。
博物館研修旅行を企画する演習で、「旅程」や「宿泊」や「資料検索」などの各担当者はブログに進行状況などを書き込む形にして、ゼミ生全員で情報を共有化しながら、それぞれの意見も書き込む形にすればいい。ゼミ生以外には非公開にしておけば問題ないし、携帯から見れるサイトならば便利だろう。

授業で使うのもいいなあ。S史文化論で実験してみようかな。授業タイトルのブログを作って、僕は毎回の授業の概要や参考文献、関連するHPアドレスなどを書き込んおく。、学生はコメントに感想や意見などを書き込むようにしておく。でも他の学生に自分のコメントを見られてしまうから学生はなかなか書かないかな。悩むところです。評価の対象にすれば、書くかな?

どうやって使うかなあ。
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by north-archaeo | 2005-03-07 19:52 | 大学教育
1984年春、H川市は宮城県の北部にある町で、B場壇の発掘。市内のT橋医院の離れが発掘調査隊の宿舎だった。その日の夜、調査責任者のO村さんが僕らにZ遺跡の発掘資料を見せてくれた。このZ遺跡の資料を巡っては、東京のO田氏はいくつかの論拠をあげ、最古と認めない立場を取っていた。関東の研究者は1984年当時、よく分からない石器群だが出土層位が古いことは確定しており、Z遺跡を認めざるをえない情勢だったと思う。

そんな情勢下で、東京の学生が宮城の前期旧石器の発掘に参加するのは珍しかったからか、O村さんは僕らにこう質問した。
「どうだ?これが石器じゃないと思うか?」
初めて手にするZ遺跡の石器に興奮した。関東の後期旧石器遺跡では見たこともない石材も混じっていたが、粗雑な印象はしなかった。非常に明瞭な二次加工で整形されていた。関東の後期旧石器より古い年代の地層から出土したZ遺跡の石器が、とにかく加工がしっかりしていて石器として立派だったのだ。これを見て石器ではないという人はいない。「きちんとした石器です」と「これが石器でないと言う人はいません」と答えたことを覚えている。

Z遺跡と関東地方で出土していた後期旧石器初頭の資料との違和感は当時誰もが感じていたと思う。両者がどのようにつながっていくのか、石器群はどのように急激に変遷、交替していくのか。今考えれば、捏造だったのだから両者がつながらないのは当然だが、当時はその理由を、その不思議さを解明したいという思いが強かった。資料が本物であるのは自明のことで、それが捏造品とは誰も考えもしなかった。目の前に未知の領域が広がっているように感じたのだった。そして今思えば、これが落とし穴だった。
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by north-archaeo | 2005-03-06 09:46 | 捏造事件
デジタルアーカイブということが博物館の業界で近年話題にのぼる。文化財などの物質文化をデジタル技術で記録、保管、活用もデジタルベースで行なうということである。記録の劣化がない、遠隔地の人でもそのデータや画像を簡単に閲覧したり利用できるという利点がある。デジタルカメラ、立体レーザースキャナーなどの発達で、パソコンの画面上で実物より拡大してそれを観察できる。何年か前、高画素数の一眼レフデジカメで接写撮影した石器写真をパソコンで初めて見たとき、「おお!老眼になっても遺物観察できるなあ」と感心したのを覚えている。

うちの大学の考古学、博物館学系の授業でもデジタルアーカイブを取り入れ、実習などにも取り入れないといけないなあ、と思いつつ何年か経ってしまった。

最近、日本の博物館のHPはかなり充実してきている。もちろん海外の大博物館はいち早く魅力的なHPづくりに取り組んでいて、飽きないHPを作っている。学芸員本人がデジタルアーカイブの知識と技術を持つようになることが、これからは求められるだろう。うちの大学には情報メディア系学科があり、先生もいて授業もあるので、ひとまとまりの科目群を選定してデジタルアーカイブ科目として履修を学生に勧めることも必要かもしれない。短大部のCAD実習は博物館の展示計画などを作成する上で重宝するソフトなので、この履修も昨年から勧めている。
他学科履修をすすめ、教育資源の有効活用を図らないともったいない。

ただ学生にはじっくり実物を近くで観る、触るという時期が一度は必要だろう。出土遺物の水洗は観察のためには一番いいんだけど、みんな嫌がるんだよなあ。
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by north-archaeo | 2005-03-06 09:16 | 大学教育
一昨年卒業したゼミ生(女子)からメールが入り、数日前に入籍したとの知らせ。仕事はたいへんそうだったけどバリバリ働いていたのに、今月で辞めるとのこと。
?っと思い返信メールで尋ねてみると予想通り、おめでただった。ダブルでめでたい!はっきりものの言える、ゼミでのムードメイカーで世話好きの明るい女性だったから、いい奥さん、いい母親になるだろう。

4年生が深刻な顔で研究室にやってきて、4月から働く予定だった個人経営の会社社長から生活できないような給与額を突然提示されたので、今から就職活動をします、とのこと。確かにアルバイトより酷い金額でとても生活できる額ではない。暗に雇えないという意味だ。

去年その社長のところで世話になると報告された時に、考え直すように何度か話したが、彼は就職活動のつらさから逃げてしまった。こんな結果になってしまい、もっと強く説得すべきだったと後悔。これから頑張って就職活動するように活動方法をアドバイスし、就職課にも手配した。しばらくは目が離せない。学生にも甘さがあったが、酷い話だ。

彼も今からの就職活動では苦労するだろう。歩合制、サービス残業、契約社員と正社員との格差。経営合理化の論理はあるだろうが、理不尽な給与体系の下では働けないし、未来を描けない。多くの若い人がこの問題に直面し苦しんでいる。
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携帯から送れるのかテストしてみました。画像もちゃんと送れるかな。今月O広、K路への出張があるので、向こうから送れるか、テストしておきたかったので。
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by north-archaeo | 2005-03-05 13:28
この2年間。大学で教務関係の仕事を担当していたことで、随分大学教育についての勉強をすることになった。大学教員は自分の専門領域やその周辺領域については日頃から専門書や学術雑誌、研究者間の日常的な交流によって新しい情報を得ている。しかし自分の所属する大学という制度が、現在どういう社会環境に置かれているか、他大学がどんな教育実践を行なっているか、存外知らない。

まして他の大学でどんな新しい教育プログラムや教育方法の工夫があるのか、自分の専門外であれば、全く知らない。カレッジマネジメントやらビットゥイーンなどという大学専門雑誌には日本中世界中の大学教育について紹介されているが、特色GP、現代GPは他学の教育について広く知る機会を与えた。

大学教育に競争原理を導入するために、特色GP(Good Practice)という各大学で実施している特色ある教育に対し選考して補助金をつける制度、現代的ニーズに合致し取り組もうとしている教育を選考し補助金をつける現代GPという制度も開始され、各大学必死で申請書を作成している。

しかしである。選考に際し、大学規模も、教員数も、学生対教員の人数比も、取り組む教員の数も考慮されずに選定されていて、僕は非常に不公平感を感じている。百数十人の教員がいてその中のわずか2名の教員が取り組んでいる教育実践に対し多額の補助金が交付され、あたかもその大学の教育全体が優れているかのように宣伝される。聞けばその大学は1学年の学生数と教員数はほとんど同じという非常に恵まれた環境にある。もちろん国立大。そんなところと地方の小さな私立大学とまったく同じ土俵で競争させられている(というのは僕の愚痴ですね)。

特色GP、現代GP、選考の透明性と公平性を導入してもらいたいが、そんなもの導入しなくても、多くの大学教務担当者は日々新しいそして学生の役にたつ教育方法の開発に力を注いでいる。なぜなら今は大学淘汰の時代だからである。
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by north-archaeo | 2005-03-05 09:36 | 大学教育