どうして捏造は分からなかったのか 2

研究者間の信頼関係
Z散乱木遺跡以前から、東北地方の旧石器研究者は相互に連携もあって親しかったようだ。Z遺跡以後も、前期中期旧石器遺跡の調査があると自身の仕事のない土日には現場に代わる代わるやってきて、手伝っていた。僕の参加していたB場壇A遺跡でも東北中の旧石器研究者が現場に泊まりでやってきた。話題の遺跡だったから、関東からも旧石器研究者はやってきていた。既に信頼関係で結ばれていた

近隣諸国との比較
B場壇で出土した石器についても議論はあったが、贋物かもしれないという議論はもちろん皆無だった。初めてその時期の石器を見るのだから、それがスタンダードになるという意識はあった。捏造発覚後、諸外国の例を知らないから捏造を見抜けなかったとよく言われたが、海外の研究者も、日本人で海外の旧石器を研究対象とする者も、地層の年代がハッキリしていて、日本の研究者が大真面目に発掘した石器を、否定したりはしなかった。それは第一には上述したような研究者間の信頼関係があったこと。第二にヨーロッパ、アフリカの石器に精通していても、それが汎世界的に共通であるとは考えていない研究者が多かったことだろう。つまりアジアにはアジアの前期旧石器があるので、直接的にヨーロッパの前期旧石器と比較出来るとは考えなかった。またアジアでも朝鮮半島は当時出土例が少なく、十分な比較対象にはならなかった。中国の泥河湾石器群とB場壇の石器群などを比較検討されたが、石器は似ていて、否定的な見解は出なかった。たまたま捏造石器が泥河湾の石器群の特徴と合致していたのか、藤村に中国旧石器の知識があって似た石器を埋めていたのか、いまだに不明である。

つづく
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by north-archaeo | 2005-03-19 16:12 | 捏造事件