<   2005年 04月 ( 9 )   > この月の画像一覧

藤村とどこで初めて会った時のことはあまりよく鮮明には覚えていない。たしかB場壇の1次調査の現場でだった。大柄でちょっと不機嫌そうで、紹介されて握手したように思う。現場では「明日は藤村さんが来るからな~」と皆が浮き立つ雰囲気なのが分かった。彼が来ると石器が出る、そう噂されていた。藤村は普段から週に何回も野山を回り、石器探しをしている、だから石器のあるところがなんとなく分かるんだ、と石器談話会のメンバーが言っていた。誰もが彼の参加する土曜、日曜を心待ちにしていた。土日は談話会のメンバーが多数参加するし、東北各地から研究者もやってくるし、賑やかだった。土日に藤村はやってきた。彼は無口で、現場に来てあちこちの地層断面を削ったり、高い場所に立って現場全体の地形を見るような行動をよくしていた。そんなことを繰り返し、やがて一箇所にしゃがみこみ、一人もくもくと掘り続けた。しばらくして「出たど~」と声を上がると、石器がもう出土していた。周囲には人垣が出来、石器を掘り出す瞬間を見守った。そんなことが何度もあった。藤村が石器を出した周辺は、他の人が掘っても石器が出た。学部生時代から東北の発掘に参加していたK張氏は、藤村のお気に入りだった。「この辺が出そうだから」と藤村に呼ばれ、そこを掘って石器を出した体験は彼の講演要旨のHPにも書かれている。その当時だれもが藤村の不思議な能力に魅せられていた。しかし自分で埋めているとは誰も考えもつかなかった。考古学をするものの想定外だった。真理の探求のためにやっている行為に、捏造など想定外だったので。

通常の発掘でも、時に「当たり屋」というのがいて、いい遺物を当てたり、予想していないところで遺物を出したりすることが続く人が確かにいた。藤村もその当たり屋で、ある種のカンを持っているものをみなされていた。今思うと手品のように巧妙に彼に騙されていた訳である。H動坂の検証報告書でも記述したが、踏査でも発掘でも考古学研究者が出そうもないだろう、と思う所から石器を出す。皆の注意がそちらに集中している時に、彼はさっと別の所に行きまた石器を埋める。そういうことを繰り返していたようである。報道されたように早朝、人気のない時に埋めるだけではなく、白昼の発掘作業中に皆の注意をそらしながら埋めることもあったと推測される事例があるのだ。手品師のように人の心理をよく見抜き、石器を埋めていた。
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by north-archaeo | 2005-04-30 13:40 | 捏造事件

とにかくB場壇A遺跡の調査は面白かった。まず地層の堆積状態が南関東とは全く違った。いわゆるロームだけでなく、火砕流堆積や降下軽石の層など南関東では見たことがなかった。給源火山からの距離や噴火形式によるものであるが、こうした変化に富んだ堆積状況は興味を誘った。

また今考えれば、捏造で埋めていたのだから当たり前だが、石器の出土レベルが数センチ内に収まるという特異な出土状況も、後期旧石器遺跡と際立った違いだった。なぜか?調査をしながら皆その理由を考えたものだった。

また、様々な国内の旧石器研究者が入れ替わり立ち代り、全国からやってきた。皆宿泊していくので、夜はそうした研究者を囲んで話も出来たし、セミナーと称して話をしてもらうこともしばしばあった。新しい、未知の遺跡を調査しているという高揚感があったし、分からないことや後期旧石器遺跡との違いは、むしろ課題としてしか認識されなかった。もちろんヨーロッパの中期旧石器とかなり違うことは分かっていたが、アジアでのスタンダードを作る気概がO村さんたち東北の研究者にはあふれていた。

また年代測定、火山灰学、土壌学など理科系の研究者との連携で、彼らもよく現場に来ていたし、話す機会も多かった。後には熱残留磁気などのサンプル採取もして、南関東の行政の旧石器調査とはちょっと違った学術発掘の雰囲気に満ちていた。実際、2年間にわたるB場壇の調査には、現在40代で各地で活躍する旧石器研究者の多くが参加していた。それだけ注目された調査であったし、Z散乱木で評価が確定した後、初の学術調査だったし、学生を大事にしたO村さんの人徳もあったろう。僕も東京での行政発掘の旧石器の遺跡調査と、B場壇の間を行ったり来たりの修士時代だった。
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by north-archaeo | 2005-04-30 13:29 | 捏造事件
連休明けに取材を受ける。捏造事件についての取材は何年ぶりだろう。D地舜というアメリカのオピニオン誌の東京特派員で「神々の指紋」というベストセラーの翻訳者が取材を申し込んできた。これまで一件の取材も断ったことはないから今回も断る理由はない。事件から五年ということでの取材という。僕自身が捏造遺跡や藤村とどう関わったかについて、このページで書き始めたばかりだ。当事者が詳しく説明することが責任と考えてのことだ。もちろん検証報告書にも書いたが、まだまだ十分ではない。僕は東北にいたわけではないが、宮城の研究者とも深い関わりがあり、事件も最初の爆心地で体験した。僕しか書けないこともあるだろう。書き続けよう。
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by north-archaeo | 2005-04-27 23:57 | 捏造事件
研究室の片付けを始めた。とにかく酷い状況なのだ。まあ2年間、忙しさを理由にほとんど片付けをしていないので、大学の教務関連の書類、入試広報関連の印刷物、献呈された旧石器以外の発掘調査報告書、などなどがあちこちにうずたかく堆積している。丁寧に発掘しないと何が埋まっているかも分からない。上層から取り除いていくと最下層から2002年くらいの書類が出土する。とにかく分類をしなければならないのだが、そのスペースもなく、悪戦苦闘中。研究室の床が全部見えるのはいつの日だろう。発掘計画を立てなければ。
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by north-archaeo | 2005-04-27 19:26 | 大学教育
十勝N平湖で連休中に予定していた遺跡分布調査は中止を余儀なくされた。なんと先週かなりの積雪があったようだ。O広在住の卒業生が写真を撮って送ってくれた(左写真)。林道にはかなりの雪が、、、。連休後に調査する他ない。昨年は大雪で湖岸遺跡は早々と水没、今年は春の雪。仕方がないこととはいえ、自然に左右されてしまう。

今日はH大大学院に進学したAさんが大学にやっきたので、新しい学内のカフェに案内した。修士論文の計画書を作成するので、いろいろな人に相談しているらしい。研究テーマを決めるのは本当に難しい。そのテーマが今後伸びていく分野や視点なのか、修士論文で止まってしまうのか。決まるまで悩むことだろう。でも研究者にはずっと付いてまわる悩みであり、楽しみでもある。割り切って楽しまないと。今思うと、自分も修士の頃が一番時間があったかもしれない。今日は彼女の話を聞いていて、ちょっと羨ましかった。
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by north-archaeo | 2005-04-25 14:34 | 旧石器
昨日は新入生のための日帰りバス研修旅行だった。僕の担当するコースは考古学、博物館のコースなので、例年そういった施設を見学する。
今回は、C歳市キウス周堤墓群、同B々貝塚、B取町N風谷アイヌ博物館、同S流川歴史館、という旅程だった。

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周堤墓は縄文人の構築物とは思えない大きさに1年生も驚いていた。高校の教科書では教えない北海道の歴史だ。周堤墓は北海道にしかないのだから、教えればいいのに。

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B々貝塚も縄文前期の海進を実感するのに最適だ。縄文前期の海水準変動による温暖化(ヒプシサーマル)で、新千歳空港のすぐ近くまで入江が入り込んでいたのだから、いい教材だ。貝塚という名称は教科書で見ているが実物は皆初めてのようだった。
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アイヌ文化博物館も沙流川歴史館も展示が一部変わっていたりしている。歴史館のM岡さんには「太ったね!」と言われてしまった。お昼にB取温泉で食べたヒレステーキ、なかなか美味しかったなあ。
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by north-archaeo | 2005-04-16 13:13 | 考古学
今日は午後からC歳市のキウスの環状周堤墓と美々貝塚に行ってくる。もう何年も行っていないので、どんな風になっているのやら。キウスは高速道路のICができて景観が一変したはずだ。美々貝塚は3年位前に一度行っているので、そう変わっていないだろう。

1年生のバス研修旅行で両遺跡を訪ねるのだが、3月中は忙しくて下見に行けなかった。
K務の仕事を降りたので、今年度はゆっくり色々なことを準備する時間がとれるかな。
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by north-archaeo | 2005-04-14 10:34 | 考古学
4月9日、一日だけ上野科学博物館で展示されていた南アフリカ、ブロンボス洞穴の出土遺物、観てきた。7万5千年前という年代は、ヨーロッパだったらまだネアンデルタール人だ。しかし南アフリカでは既に新人が登場している。1センチに満たない小さな巻貝の開口部に穴をあけ、ビーズにしている(下写真左)。40点あまり出土しているようだ。また骨製の針かヤスのような製品、赤色顔料(オーカー)には格子状の刻みが多数つけられていた(下写真右)。そして石器!両面加工の尖頭器。それもすごく薄い。長さ5~7センチで厚さは1センチ以下。調整剥離も押圧剥離と思われる、器体中央まで達するような剥離。日本なら旧石器時代終末期から縄文時代草創期にあるような尖頭器でした。

我々新人という種の持つ知能の高さと可能性、7万5千年という年代の持つ意味。新人がかなり完成された石器技術を持って、アフリカを出て行ったことが推測された。

アジアの後期旧石器時代初頭の石器群をどう捉えたらよいのだろうか?疑問は増えるばかり。
【下の2枚の写真は国立科学博物館HPより】
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by north-archaeo | 2005-04-11 14:17 | 旧石器
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東京に来ている。東京は四月というのに24℃もあり、暑い。桜が満開だ。あちこちに花見の人が出ている。写真は千鳥ガ淵の桜だ。
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by north-archaeo | 2005-04-07 22:11