カテゴリ:捏造事件( 22 )

最近全くアップしていないこのブログですが、ここに記しておきます。
旧石器捏造の毎日新聞スクープから今日で15年になります。最近この話題にあまり接しなくなりましたが、今年も来週の授業で、この事件をテーマに話します。リアルタイムの記憶のない学生が増えました。歴史の授業で聞いた、という大学生が多いのです。だからなのか15回の中でベスト授業、と学期末の授業評価アンケートにコメントする学生が毎年います。
旧石器研究は15年で何が変わったのでしょうか。変わっていないという研究者もいます。しかし確実に前に進んだこともあります。多くの旧石器研究者の努力で、日本旧石器の国際化は確実に進みました。アジアやユーラシアの中での日本旧石器を相対化し海外への発信することは成功しつつあります。
「列島最古の旧石器」については、どうなったでしょう。この議論は現在も混沌の中にあります。自然破砕の研究が進んでいないため、人工品・自然破砕品の判別問題は解決していません。こうした基礎研究はなかなか進みません。
また後期旧石器以前の石器の可能性がある石器群について、扱わない、触れない、語らない、という立場の研究者が多いのも現状です。当然でしょう。
この15年を振り返り、私がお話を聞いてみたい研究者3人に話し合いいただく場を用意しようと思っています。詳細は後日。

[PR]
by north-archaeo | 2015-11-05 17:46 | 捏造事件
毎日新聞の捏造スクープから10年が経ちました。真夜中に宮城のK田さんから電話があり、朝刊でスクープが出ること、ビデオを見せられ捏造は疑いが無いことを知らされ、床が抜けるような、どこまでも落ちていくような感覚を持ったことを思い出します。

つづきはこちら
[PR]
by north-archaeo | 2010-11-05 21:58 | 捏造事件
昨夜、週刊G代の記者から電話があった。F村新一が今何をしているか取材したいのだが、連絡先、居所を知っているか、という質問だった。「あの人は今...」というような記事なのか詳しくは聞かなかった。ボクは2000年報道後、現在に至るまで、F村とは一度も話したことがない。まして今どうしているかも、どこにいるかも知らない。週刊誌を読む一般読者と同じレベルでしかないと伝えると、記者は残念そうに電話を切った。
[PR]
by north-archaeo | 2006-12-19 12:46 | 捏造事件
久しぶりに捏造事件のことを書こうと思う。

 旧石器研究者にとって『岩宿』は特別な遺跡である。相沢氏が群馬県笠懸村の切り通しのローム層から石器を見つけ、それを持って東京の研究者に尋ねるが、ローム層からは石器は出ない、と相手にされなかった。それを芹沢氏に見せたところ、旧石器であることを直感した芹沢氏が杉原氏に発掘を勧め、やがて岩宿の丘に立つ。そして発掘によってローム層から石器が出土する。1949年の旧石器研究の幕開けの感動の物語である。
 その後各地でローム層から石器が見つかり、日本にも縄文時代以前の文化段階があることが徐々に認められていく。しか岩宿で発見された石器には研磨痕を有する石斧であり、これを旧石器とは認めがたいという意見があったもの無理からぬことだった。磨製石斧は新石器文化の特徴とされていたから、それがローム層から出たことが問題となったのだ。

More
[PR]
by north-archaeo | 2006-03-03 19:20 | 捏造事件
12月21日夕刊の特集(中)では捏造発覚後に明確に中期、前期となる遺跡になかなか行き当たらないという内容で、『出ない答え、少ない年代特定の試料』とタイトルが付けられ、長野県竹佐中原遺跡の石器写真が掲載されている。
「2002年に発掘された長崎県平戸市の入口遺跡の石器は「十万年前」「自然に割れた石」と見解が分かれる」とし、2001年に札幌学院大学の鶴丸教授らの発掘し「大量の石器が出たルべの沢遺跡も古そうだ」とするが、年代特定のための「炭化物を得ようとしたが見つかっていない」とする。編集委員氏は古そうだが年代特定試料が見つからないという見解しか紹介しない。

More
[PR]
by north-archaeo | 2006-01-02 01:21 | 捏造事件
北海道新聞の12月20日~22日の夕刊で『再構築できるか日本の旧石器考古学』上~下という中尾吉清編集委員による連載特集が掲載された。

まず(上)は捏造か発覚から5年、石器を見る目養う教育を、と見出しがつけられ、書き出しは1961年の東大調査団のイスラエルの洞窟でのネアンデルタールの全身骨格発見についてである。海外に比べ日本では古い人骨は溶けてしまい旧石器時代の人類の存在は石器だけであり、だからこそ「石器を見る眼力が求められる」と始める。

そこで竹岡俊樹氏への取材。氏が学んだパリの大学院では「毎日が実習の連続。石器を一つずつ観察、議論しながらサイズ、剥離の仕方などを記号、数値でカードに記録する。それが石器の種類、型式を議論する客観的な基礎となる」とし、それに対して日本では「教授がこれは『石のナイフだ』と言ったら学生はみんな黙って聞いている。見た目の印象で論じるのは心霊写真を信じるのと同じ」と竹岡氏。日本の石器教育が悪いとしている。

More
[PR]
by north-archaeo | 2005-12-23 18:17 | 捏造事件
M日新聞の捏造報道後、授業が終わる時間には教室の前にいつも数名の新聞記者が来ていた。授業が終わると記者に囲まれ、質問攻めにあったのだが、一人ひとり話さないとならなかった。各社の記者に一緒に話そうとすると、別々にお願いしますと言われ、研究室や博物館準備室で一人ひとりの取材に応じた。取材が終わると8時くらいになっていて、毎日ぐったりだった。取材に来る記者は「前期旧石器って何ですか?」「この事件では何が問題になっているのでしょう?」「昨日まで警察まわりで何も知らないんですが、一から教えてください」、こんな調子の記者も多かった。十分に記事も読んでこない記者が多いことには驚いた。夜は自宅にも記者から電話がかかってきたし、毎朝7時ちょうどにかかってくる某国営放送の記者からの電話には閉口した。質問は決まっていて「今朝の朝刊の関連記事を読んで一言」だったが、自宅で新聞全誌を取っている訳でなく、読んでいない記事についてはコメントできず困ったものだった。その国営放送の記者は、全部の新聞を取っていると思っていたのだろうか?
M日新聞報道直後に、当時の学長から「すべての取材(新聞社は言うに及ばず、テレビでも写真週刊誌でも)に対応すること、取材には出来るだけ丁寧に答えること、隠さずにすべて話すこと、発言がぶれないように気を配ること、卑屈に謝ったりはしないこと」などを厳命されていた。だから取材拒否はこれまで一度もしたことはない。
こうして報道への対応に毎日時間が取られたが、遺跡発見時には報道機関に大きく報じてもらった手前、あんな事態になったからといって取材に応じないわけにはいかなかった。しかし正直しんどかった。その取材の合間には通常通りに授業を行い、『遺跡』の関連町村へ説明に出向いたり、遺跡発見時や発掘時の出土状況写真やビデオの検討を開始し、石器の顕微鏡観察も始めていた。石器表面に付着していた赤褐色の物質を針でこそげ落とすてみると、磁石に反応することは、すでにこの頃には気づいていた。
出土状況の写真を拡大したり、ルーペで見たりしたが、どんなに詳細に検討しても捏造の痕跡をそこに見つけることは出来なかった。以前もこのブログで書いたが、全部ダメかもという思いと、どこまで(何年の調査まで)ダメなのかという思いとが交錯しながら、ただ日々の出来事に追われていた5年前の11月だった。
[PR]
by north-archaeo | 2005-11-19 14:29 | 捏造事件
I氏の上記ブログは本当に容赦ないなあ。まあ学生時代から率直で生真面目な彼らしいブログだ。特に11月14日は辛らつだ。日本考古学の置かれている状況、世界の孤児である状況を鋭く表している。しかしこうした日本考古学の状況自体も日本社会に規定されて成立している訳であり、考古学研究者だけの問題ではないだろう。ポストプロセス考古学の中で、『真理探究』という無邪気な学問の方向への疑義が取り上げられていった様を横目で見てはいたが、自らの問題として考えたことはなかった、というのが正直なところだ。
出土したひどくあいまいなものを、どう見るかという前提の下に日本の「前期」「中期」旧石器は構成されていたわけである。「中期旧石器」と後期旧石器初頭の石器群が、さまざまな面でなぜ連続しないのか、僕も常に悩んできたし、変遷を理解し解釈しようとしてきた。だれもが出土したモノを前提に分類し、解釈を試みるのである。その取り扱いは慎重というより性急だったことは疑いない。結果的にこうして行った解釈の山が、「前期・中期旧石器」研究である。こうした性急な営為が学問的に無になったことは明らかだ。
しかしよく分からないけれども興味を引く、取り組んでみたい資料群が眼前にあったら、僕は再びそこに向かってしまうだろう。よく分からないから知りたいのであり、自分なりに理解してみたいのであり、未知のものがあれば挑んでみたいのである。これは僕自身の傾向かもしれないが、こういったある種の危なさを内包しつつも挑む態度なしに新しい分野は開けないのではないか。無駄かもしれない、危ないかもしれない、そんなことを分かっていても挑まずにおれないのが研究者なのではないか?捏造事件を通して多くの教訓を得たし、学問的な態度として常に懐疑の姿勢を持ち、慎重であることは非常に重要であることも再認識させられた。しかし挑むこと事態が罪とは思わない。僕は過ちを犯しやすい性癖を持っているのかもしれないが、取り組む人があまりいないから踏み進むのであり、そうした学問風土に育ったことは恥じていない。捏造事件を経て、若い研究者の未知なものへの態度自体を慎重にさせてしまっていたら、それが一番の負の遺産かもしれない。
[PR]
by north-archaeo | 2005-11-14 13:00 | 捏造事件
M日新聞が前期旧石器2遺跡のねつ造を報道してから今日で5年が経った。ねつ造は数遺跡で直近の数年間という楽観論もあった。M城県教委やS台市教委、T北大学埋蔵文化財調査室の自分達の調査ではねつ造はない、とした記者発表や報告書はそうした楽観論をよく示している。当時「お前の調査はやられちゃったよな」という事をよく言われた。他はセーフという雰囲気があった。しかし福島県山形県での検証発掘では楽観論は吹き飛んだ。日本考古学協会の特別委員会や各遺跡の検証委員会での石器観察でもねつ造の証拠が次々と見つかった。
あれから5年経った。この一連の事件を通じて変わらぬ友情を確認することも出来たし、人の変節を間近に見ることにもなった。高名な研究者の無惨な変節は見苦しいばかりだった。この人がこんなことを言うのか!ということが相次いだ。自分自身の甘さ、至らなさは充分反省している。最古を追い求めた日々は、空しいものとなったがこれは仕方ないことだ。遺跡発見時には絶賛していた人の変わり身の速さには、驚かされた。自分はマスコミへの対応と検証に追われた日々で毎日夢中で一日一日を過ごしたことを思い出す。
旧石器研究はあの事件を経過して変わったのだろうか。この5年を振り返り、旧石器研究のあり方を私なりに振り返ってみたいと思う。
[PR]
by north-archaeo | 2005-11-05 23:49 | 捏造事件
A日新聞社の若い記者が、新党の党首への取材をめぐって取材ノートを捏造して、それが報道されてしまった。誤ったことが報じられたわけで、その記者は免職。上司もそれぞれ処分されるという。
僕自身の経験で言うと、必ずしも新聞の報道は事実を伝えるものではない。記者が伝えたいことを伝えるのだ。記者が書きたいことにうまく整合している「事実」だけを書く。もちろんそうではない記者もいる。断定するのはよくないだろうから、そういう傾向がある記者たちがいると言っておこう。

旧石器捏造事件で、2000年11月、M日新聞が『K高森遺跡』を張っていて藤村の捏造の瞬間を撮影し、スクープとして報道した。他社の後追い記事がすぐに出ないように、日曜日の朝刊でスクープしている。平日だとすぐに夕刊が出てM日新聞のスクープが目立たなくなってしまうからだ。
その数日後、僕のことについてM日新聞に、『助教授、年代を捏造』という記事が出て、はなはだ迷惑した。この記事が出る前日、M日新聞札幌支社のO沢という記者が大学に来て、北十勝の藤村関連『遺跡』について、僕らが発見当時年代を発表したが、その年代を僕が捏造したのではないか、と言った。僕は当時の記者発表時に報道関係に配ったプレスリリースを渡し説明した。そこには年代については未確定であること、記者発表での年代についての根拠。その年代や出土火山灰層についてコメントをもらえるだろう、数名の火山灰学者、地質学者の名前と連絡先を記し、報道関係者が確認できるようにしておいた。このプレスリリースを見せると、O沢は「これじゃあ年代捏造って言えませんね」といって帰っていった。しかししばらくして「デスクに記事にならないから書き直せと言われまして、、、先生、何とか記事になりませんかね」と携帯電話に電話をかけてきた。僕は電池がなくなるほどの時間、O沢記者に発表当時の経緯、疑義があれば地質学関係者に確認して欲しいので連絡先を明記しておいたことなど、昼間と同じことを話した。するとO沢記者は「そのとおりじゃあ記事になりませんよ」と言い残して電話を切った。そして翌日の朝刊の記事が「助教授、年代を捏造」である。
その朝刊の出た日、O沢記者から携帯に電話がかかり何か言うことはないかという。僕はO沢記者に向かって「あなたは人間として恥ずかしくないのか?よく僕に電話をかけてこれるね。」と言うと、「デスクがどうしても記事にしろというので、、、それに見出しは自分がつけるわけではないので、、、」と言い電話は切られた。その後二度とO沢記者は僕の前に現れることはなかった。

この日、僕はA川の高校に出張していて、大学にはいなかった。これがいけなかった。この記事を読んだTV局数社は一日中、僕を追い掛け回したらしい。あるTV局は大学に電話をかけてきて、「出張で不在です、取材は明日に」と言った大学の事務職員に対し、「本人を隠してるんだろう、本人を出せ」とすごんだという。もう犯罪者扱いである。高校に迷惑がかかるので、行き先を言わなかった訳であるが、そんなことは報道関係者にはお構いなしだ。

その日、Dさんこワイドという番組の夕方のニュースに生出演して欲しいという依頼が大学にあり、僕にもその旨伝えられた。大学では僕が袋叩きになるのでは、と心配し出演を断るつもりでいたらしい。しかしその時間ならS幌に帰っているし、自分で釈明もしたいので、僕は学長に相談して許可をもらい出演することにした。S幌駅にはTV局の迎えが来ていて、すぐにスタジオに入り、生放送でニュースに出た。キャスターを相手に北十勝の藤村関連『遺跡』の年代について説明した。この番組の直後、A日新聞やH海道新聞の記者から僕の携帯に電話が入った。記者は言った「ニュース見てましたよ。よく分かりました。自分の社ではこの件については報道しません。M日新聞とは一線を画します。」
ニュースに出てよかった、と思った。

この一件を通して、僕のM日新聞社への評価は一転した。捏造スクープ報道の朝、確か7時前に自宅にM日新聞の記者とカメラマンが来た。僕は自宅のリビングでインタビューに応じた。そのとき僕はM日新聞のスクープで自分の調査してきた『遺跡』が全滅になるかもしれないと不安になっていた。しかし、帰りかける記者たちに、僕は「すごいですね。学者たちも誰も暴けなかったことをすごい取材で暴いた、尊敬します」と言ったことを良く覚えている。本当にすごい取材だと新聞を見て心底思ったのだ。

しかし、M日新聞社への尊敬の念は、上の一件で吹き飛んだ。スクープが欲しいだけの新聞社ではないのか?現場の記者が記事に出来ないと判断したことでも、自分たちの都合の悪いことは伏せて、悪意に満ちた記事を書く。他社と違うスクープが欲しいだけではないのか。

僕は全面的には新聞を信じられない。今回のA日新聞記者の捏造も、スクープを狙うという意味で根が同じだと思う。
[PR]
by north-archaeo | 2005-08-30 18:27 | 捏造事件