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捏造発覚から6年の岩宿フォーラム

捏造発覚の新聞報道から6年目の昨日、岩宿フォーラムに参加していた。後期旧石器の始源を論議するフォーラムで、岩宿博物館には関東・東海・中部のⅩ層段階の石器群が集められた。K菅学芸員の情熱と労苦には正直、頭の下がる思いだった。
4日午後のS訪間氏の基調講演冒頭で6年前の前期中期旧石器捏造発覚後に、Ⅹ層研究会がつくられて活動を始め、今回の展示やフォーラムはその成果であることが述べられた。旧石器捏造を教訓に、まず確実に古い資料について確認していく、という姿勢が語られた。またそうした姿勢が発表者間に共有され、2日間の報告議論でも堅持されていたように思う。



多摩蘭坂遺跡8次調査石器群、武蔵台石器群の再検討、静岡県の愛鷹山麓のBBⅦ(最下暗色帯)出土とされる石器群、などを根拠に、武蔵台Ⅹa層、Ⅹb層とされてきた武蔵台石器群は一括できる、という見解が示された。したがってⅩb層段階からナイフ形石器、台形様石器、石斧が三点セットで存在し、従来のⅩaとⅩbの石器群編年は見直しなのだとも結論づけられていた。

しかしⅩ層段階石器群と一括されたものが、ごちゃまぜの状態であることは展示資料を見ても明白だった。台形様石器はさまざまなタイプが混在し、剥片剥離技術はなんでもあり、茂呂系ナイフ形石器以外はみなある状態。
また神奈川県吉岡遺跡B5資料には石斧がないこと、良質石材製縦長剥片資料のあるブロックはB5でもやや上の層で出土しているとの発表報告もあり、そうすると吉岡B5・中山谷・西之台Bは、やはりナイフ形石器も石斧もない最古段階の石器群であるとも考えられ、三点セット論とは矛盾しているなあと思った。

司会の求めに応じ会場からコメントしたS木次郎氏の発言はまさにこの点をついていた。武蔵台Ⅹb層石器群とⅩa石器群は区分できず同時存在であるとするⅩ層研究会の検討結果(今回のフォーラムの基調)を受け入れても、O田氏のⅠa期Ⅰb期の間に武蔵台石器群が入ると考えれば、O田氏の時期区分が未だに有効であると看破し、いまだにO田編年の立脚点に立ち戻る必要があると述べたのだ。

つまりこれはⅩa層とⅩb層の境界で時期区分があるのでなく、Ⅹb層の中に区分が存在するということを意味している。今回のフォーラムではⅩb層石器群が多様であり、その区分の必要があることが示されたのではないか。石器群の違いをすべて時期差とは言わないが(機能差で解釈も可能だろうが)、まとめられたⅩ層石器群の台形様石器の型式的多様さを見るにつけ、まとめられたⅩb層石器群には時期差が内包されているのではないかと思った。同じ層で出ても時期差は当然あるだろう。

それは十分承知の上でとにかく一括しておき、そこから研究をスタートしたい、という意図だとすればフォーラムは成功したと言えるだろう。

ただパネルディスカッション最後に、司会が壇上のパネリスト各人に「今回発表の資料は後期旧石器ですか?」といった意味のことを尋ね、全員が「そうです」と答えていたが、これには非常に違和感があった。後期旧石器の定義自体が問題になっている世界的な趨勢の中で、立川ロームで出土すれば何でも後期旧石器であるとして良いのだろうか。また研究者として各人がその定義や石器群の位置づけを考える必要があるわけで、共通認識が必要なら別途議論すべきだろう。東アジアの中期旧石器がまだまだ固まっていない現在、議論が必要な事柄ではないのか。
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by north-archaeo | 2006-11-06 12:05 | 旧石器