日本考古学協会での研究発表(1)

発表要旨、メモをもとに29日に書いたものを30日に加筆訂正した。
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5月28日日本考古学協会の研究発表会第一会場で「群馬県桐生市鶴ヶ谷東遺跡の前期旧石器」と題する発表が始まった。会場は広かったがかなり埋まっていた。発表者は東北大のA子島先生。地主が芹沢先生のところに「石器」を持ち込んで調査することになった経緯が説明された。「今回の発表はあくまで中間的報告としたい、・・・これまでの反省を踏まえての再構築が必要であり、学会に公開していきたい」旨の前置きがあり、「発表時間が短いので詳細は要旨を見てほしい、発表は発掘調査の状況を中心とする」と発表者の言葉があり、スライドが始まった。





遠景、近景スライドで、山地から続く緩斜面に立地すること、土取りがされてローム層が深いところまで露頭している様子が示され、6層が赤城-鹿沼軽石、8層の榛名-八崎軽石、10層が赤城-湯の口軽石で、その下位の11層のチョコ帯(暗色帯)で「石器」が出土している、と説明があり、明瞭な火山灰堆積の様子が示された。年代には問題がない。しかし出土状況として示されたスライドに会場から失笑がもれた。狭い発掘区全面に散漫に分布する出土物の様子だった。
さらに翌年の2次調査では北側にN区とした調査区を設定し、チョコ帯下位のN12b~14b層、および1次調査部分(S区)の下位への掘り下げS1区で水の湧く18層から、出土物があったことが示された。
出土「石器」のスライドが示されると、軽いため息が会場から漏れ、ざわついた。それはこれまで見慣れた「硅岩製前期旧石器」そのものだった。チャート製の「尖頭石器」「彫刻刀」「鋸歯縁石器」・・・。

発表終了後、T岡氏とO田氏が相次いで質問した。録音していたわけではないので、メモからおこしたので完全でなく、一部しか記録できていないことは容赦願いたい。

T岡氏 :①人工品であると判断した根拠は何か?S沢氏、M沢氏の判断か?
     ②出土した「石」の何%が「石器」か?
     ③器種分類の判断基準は何か?
A子島氏 :
①すべてが人工品かどこで判断するかという問いは石器とは何であるかとの問題 になるので・・・短い時間では答えられない。
②概数であるが、S区チョコ帯(11層)では510点出土した内のtool、core、flake は102点。N区は320点出土した内のtool、core、flakeは60点強。20%くらいが石器である。芹沢氏の選択、分類によるものである。
③器種分類は今後実施する分析で・・・
司会 :時間がもうないので、質問はこれで打ち切り・・・
O田氏 :遺跡かどうかの判定は、自然堆積かどうかの判断はどうなのか?
司会 :時間がないので後で会員同士でやりとりして欲しい。
T岡氏 :岩宿D,早水台、星野をこれからどう決着していくのか?
A子島氏 :これから分析して報告していく予定で・・・
T岡氏 :自分たちでやるのか?
A子島氏 :公開しつつ、色々な人に見てもらい意見を伺って一緒に出来ればいいと・・・
T岡氏 :安心しました。
A子島氏 :複数文化層の比較をしながら・・・
T岡氏 :共同でやらないとまたドツボに・・・
A子島氏 :40年前からの問題であり・・・
10時15分、質疑終了。予定終了時間より5分間超過しただけだった。司会はお見事!たいへんな質疑の応答で司会は本当にご苦労様!と言いたかった。

発表を聞いて、暗澹たる気持ちだった。予想していたとおりの「前期旧石器」にほかならなかった。もっと違う何かを期待して発表を聞きに来たのだ。3月に芹沢先生が亡くなられ、今回の発表を取り下げるということも可能だったはずだ。「芹沢先生が選んだ石器」「芹沢先生が器種名をつけた」という説明だったが、発表してしまった以上、発表者自身の見解である。

「今後の検討」「いろいろな人に見てもらって」という回答が引き出された。検討の結果、石器ではないという結論を出すことも視野に入れての発表者の発言だったのか、検討委員会を設置するのか、真意がはかれなかった。発表者であるA子島先生も連名のY田先生も、僕の尊敬する、敬愛する人たちで、目標ともしてきた。だから暗い気持ちになった。

出土「石器」についての詳細な検討はこれから成されるだろう。顕微鏡観察、剥離面の風化度、剥離工程、二次加工、型式学的検討、もちろん行われるのだろう。けれども発表を聞いて、そんな検討以前の問題と思った。集中部を形成しない散漫な分布、そしてその中の20%が「石器」。もし人間がそこに20%の石器を持ち込んだのなら、80%を占める自然礫も何らかの理由で持ち込んだと解釈しなければならない。何のために?散漫な分布で、礫と石器を取り混ぜて、集中部もなく、焼けている様子も無く、どこを掘っても当たる。これでは人間活動の痕跡といえる根拠がない。遺跡背後の山地の崖錐からチャートが供給され、それがロームの堆積の途中に動いてきて、その場所に残される。途中で割れるたものもある、と考える方が形成過程として合理的だと思う。タフォノミー的検討がまず必要だろう。

それにしても、どうして発表したのだろう。どうしてタイトルを変えなかったのだろう。芹沢先生がこう判断したから内容を変えないで発表した、は通用しない。
無惨だった。
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by north-archaeo | 2006-05-29 11:57 | 旧石器