竹佐中原遺跡シンポ

先週末、長野県飯田市で竹佐中原遺跡をめぐって報告とシンポジウムが開かれたと言う。私は参加出来なかったので、内容は新聞社のHPで見ただけであるが、時期や位置づけをめぐって意見が割れたと言う。

1月に長野県埋蔵文化財センターに行って、竹佐中原の資料を見せてもらった。運よく、2000年調査資料と2005年調査資料の両方を一度に並べ、見せていただいた。2000年調査は既に報告書が刊行されているが、2005年はまだ整理中である。センターの諸氏、歴史館のO竹氏に感謝感謝である。
一言でいって難しい。両年度は隣接地点の調査で、母岩別資料でも一瞥して共通する石材がある。ブロックによって石器群や技術の様相が異なっており、一概に時期を決定できないだろう。もちろん層位的には層厚が薄く、ブロック間で上下はないから層位的に時期差を決定できない。
2000年調査資料を見ると風化した石材(ホルンフェルス)の大形石器は古拙に見える。しかし2005年調査資料には同一石材で中小型の剥片が多数あり、剥片素材で腹面で剥離を行う石核もある。これとはまったく異なる白色に風化する珪質な凝灰岩の小型石器が両年度資料中に見出され、ブロック間をまたがって存在する。ホルンフェルス製石器の一群とはまったく異なった印象を与える石器であり、後期旧石器前半期の様相を示してもいる。
果たして、後期旧石器をさかのぼるのか、後期旧石器前半期のものなのか、いくつの時期か混在するのか、判断は難しいだろう。とにかく当面は接合など整理作業の進展を見守りたい。
シンポジウム記録などそのうち刊行されるのだろうか、興味深い。
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by north-archaeo | 2006-02-23 17:13 | 旧石器