ブログ第2考古学宣言 11月14日

I氏の上記ブログは本当に容赦ないなあ。まあ学生時代から率直で生真面目な彼らしいブログだ。特に11月14日は辛らつだ。日本考古学の置かれている状況、世界の孤児である状況を鋭く表している。しかしこうした日本考古学の状況自体も日本社会に規定されて成立している訳であり、考古学研究者だけの問題ではないだろう。ポストプロセス考古学の中で、『真理探究』という無邪気な学問の方向への疑義が取り上げられていった様を横目で見てはいたが、自らの問題として考えたことはなかった、というのが正直なところだ。
出土したひどくあいまいなものを、どう見るかという前提の下に日本の「前期」「中期」旧石器は構成されていたわけである。「中期旧石器」と後期旧石器初頭の石器群が、さまざまな面でなぜ連続しないのか、僕も常に悩んできたし、変遷を理解し解釈しようとしてきた。だれもが出土したモノを前提に分類し、解釈を試みるのである。その取り扱いは慎重というより性急だったことは疑いない。結果的にこうして行った解釈の山が、「前期・中期旧石器」研究である。こうした性急な営為が学問的に無になったことは明らかだ。
しかしよく分からないけれども興味を引く、取り組んでみたい資料群が眼前にあったら、僕は再びそこに向かってしまうだろう。よく分からないから知りたいのであり、自分なりに理解してみたいのであり、未知のものがあれば挑んでみたいのである。これは僕自身の傾向かもしれないが、こういったある種の危なさを内包しつつも挑む態度なしに新しい分野は開けないのではないか。無駄かもしれない、危ないかもしれない、そんなことを分かっていても挑まずにおれないのが研究者なのではないか?捏造事件を通して多くの教訓を得たし、学問的な態度として常に懐疑の姿勢を持ち、慎重であることは非常に重要であることも再認識させられた。しかし挑むこと事態が罪とは思わない。僕は過ちを犯しやすい性癖を持っているのかもしれないが、取り組む人があまりいないから踏み進むのであり、そうした学問風土に育ったことは恥じていない。捏造事件を経て、若い研究者の未知なものへの態度自体を慎重にさせてしまっていたら、それが一番の負の遺産かもしれない。
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by north-archaeo | 2005-11-14 13:00 | 捏造事件