木の文化

飛鳥京で正殿と推定される建物跡が発掘されたとH海道新聞の朝刊1面に紹介されていた。
建物の四隅に数本の柱を立て抜いた痕跡がみられると記事にあった。それは諏訪大社の御柱のようなものか、幡をたなびかせるものか、あまり大陸風の建築様式でないとの解説も興味をひいた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050308-02342097-jijp-soci.view-001

A森県のS内丸山遺跡は縄文時代の遺跡だが、今は6本柱のやぐら状の建物が復元されているが、ただ6本の柱を立てたものである可能性も高いとされている。たしか「日本考古学」の何号かに、K口さんが6本の柱の影とそれが季節を示すということについて論文を書いていた。

柱をただ立てるという行為が縄文時代以来日本の中で脈々と受け継がれてきたのか、歴史的に断絶がある他人の空似か、面白いテーマではある。

縄文時代は古い時代のように思えるが、I狩市の低湿地遺跡であるM葉山遺跡で出土した縄文時代の木製品や漁労遺構は、アイヌ文化のそれに酷似していて、歴史的な連続性を考えさせられる(確かもうすぐ報告書が出るはずだなあ)。http://www.city.ishikari.hokkaido.jp/kakubu/kyouiku/49iseki/m49001.htm
東北地方の木製民具や樹皮製品を調べているN久井さんの著作にも縄文時代の木製品との類似がしばしば指摘されている。
木の文化は石の文化や焼き物の文化と比較すると、非常に古い時代から現代までの継続性を持っていることを思い知らされる。
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by north-archaeo | 2005-03-09 20:08 | 考古学